閉ざされゆく扉



原因は何だったのかはわかりませんでしたが、転園してニか月で適応障害をおこし

退園することを、積極的な諦めと受け入れることにして、もう一度やり直しです



子どもが嫌がって進めなくなっても、だましだましそんな生活を

続けることも出来たかも知れません でもあの時の私には無理でした


保育所まで片道車で30分、朝は混んで雨でも降れば1時間以上かかります

着いても母子分離できず昼まで一緒にいて、いったん次男と帰宅

こだわりに付き合い野菜畑を歩いて歩いて、夕方また三男を迎えに往復


そこから忙しい夕方の家事、長男の塾の送迎

私にもう少し力があれば・・

文字どうり体力とそして気力があれば・・それも出来たかもしれません

母子分離できず、疲れきったのは私の方でしたから



出した答えが間違っていたとしても、きっと答えは一つじゃない

後はまた、前を向いて歩くしかありません

せっかく療育施設で伸ばした力を失いたくないと、すぐに新しい園を捜しました



でも現実はかなり厳しいものでした



自宅のすぐそば、徒歩で行ける所に、定員割れしている公立の幼稚園があり

園児全員でも20名をきっていました

田舎の幼稚園でのんびりしているし

隣の小学校の校長先生が園長先生を兼ねていましたし

この先の就学を考えるとここがいいと思いました

転園を考えた時に№2に上げていたところです

長男もこの幼稚園を出ていますから

その時お世話になった先生もいらっしゃって私の事を覚えていてくれました

電話を入れて早々、子どもを連れて伺いました




何日か通って園からの返事が来ました


「弟さんだけなら明日からでも来てください」



この返事に私は言葉を失いました

この幼稚園で息子は何をしたというのだろう

ただ、連れて行かれた幼稚園で楽しく遊んでいただけ

弟とどこか違って見えましたか

私が包み隠さず今までの経緯を話したので

そんなやっかいな子はごめんですということですね


保育士という資格をもったプロが、引き受ける以前に扉を閉ざすのですか



療育施設で力をつけてきたというのに

この子の前に扉は閉ざされようとしていることが悔しかった


障がい児はその範囲の居場所からでると、周りはこんなに厳しいものなのか

障がいを受け入れるのは自分との闘いで、障がいをもって地域で生きていくというのは

周りとの闘いなのですね

息子がハードルを飛べなかったのには、どんな原因があったとしても

結果、こけたことから立ち上がれなければ

自分の力で立ち上がれなければ、失敗は許されませんか

やり直しは認めませんか



それどころか、こける可能性のある子は遠慮してくださいと扉を閉ざすのですか



それならば、もうニ度とこんなことのないように

高いハードルなら少し下げておこう

この子の進む道の前にころがる石は取っておこう・・

そうやってまず達成感を持たせて力をつけてやらなくては・・

いずれ自分の道を自分一人で歩いて行けるように

こけても、もう一度立ち上がれるように

そんな意識が私の中にしっかりと刷り込まれました


こんな中を乗り越えられたのは他ならない療育施設で出会った仲間の支えでした

丁度一番忙しい中、左下腿なので車の運転は出来ましたが

私は靭帯を切って、ニか月松葉杖生活をしていました


状況を伝え聞いて何人も助けに来てくれます

私には内緒で、療育施設の先生に相談に行ってくれていました

みんな自分のことも大変なのに・・

私たちの中にいつもあった言葉

「苦しいけど不幸じゃない」

彼女たちの潔い姿は、私を十分に応援してくれました






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comment

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その頃の気持ちを想い、ただただ涙がでました。

辛い現実の中で、支えてくれた方々、温かいですね。

更新楽しみにしています。無理せずしたためていってくださいね。

No title

くるみみるくさんの辛い気持ち、胸が痛みました。

私は幼稚園、保育園で勤務していた経験があります。

私が勤め始める前に、勤務していた幼稚園では多動のお子さんを保育していたことがあるそうです。しかし級外の先生がつきっきりで傍にいる必要があること、1対1での関わりが必要であること、ほかの園児がそのお子さんの行動に引きずられてしまうこと、そのお子さんにあった、専門の知識と経験をを持った方に保育してもらった方がお子さんのためにもいいのではないかとの判断から、療育施設に転園してもらったことがあるそうです。

結婚してから、公立の保育園に代替として勤務しましたが、そこは障がい児受け入れの園として、そのお子さん専任の保育士がいました。

くるみみるくさんが行かれた幼稚園、「弟さんだけなら…」という言葉だけではなく、きちっとした、丁寧な説明があったのなら…と同じ職業についていたものとして残念に思います。
ごめんなさい。(私が言うべきことではないのかもしれませんが、書かずにはいられませんでした。)

精神的に支え、実際に行動にうつして助けてくださったお友達の姿、「苦しいけど不幸じゃない」の言葉と共に、私の心をうちました。

おひとりおひとりの強さと、結ばれた心の絆を感じました。



ありがとうございます


v-254きのこさん
読みに来てくれてありがとうね!そしてこうしてコメント残してもらえてe-441
励みになりますv-352
もう、随分前のことですが、こうして書いているとすごく鮮やかに甦るの・・不思議ですねe-440
また、来てくれるの楽しみにしてますv-363
泣かせてごめんね~v-408

ありがとうございます

v-22かのんさん
いつも来てくれてありがとうございます!
あの後、半年以上して幼稚園から保健所を通して、あの兄弟どうしていますか?
と、問い合わせがあったそうな・・先生方の中に私たちを気にかけてくれていた先生が
いたのですね。。
いつもコメントほんとに嬉しいです!また来てくださいねe-454
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プロフィール

くるみ みるく

Author:くるみ みるく
小5の終わりから始まった体調不良、そして不登校。
学校に行くというあたりまえに思っていたことが、これほど大変なことだったとは・・・。
復学支援をうけ、もう1度歩き始めた子どもを応援して行くために親はどう接していくのがよいのでしょうか。
学び続けることで見えてくるものは何でしょうか。

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