私の父




83歳で先週父が亡くなりました

けっしていい父娘関係ではなかった

まともに話をしたこともなかったと思う

子どもと遊ぶなんて言う事を知らない父だった

まだ5歳くらいの頃、唯一父が買ってくれたおもちゃ

そのころ仲良しの淳ちゃんが持っていた小さなオルゴール

私も欲しくて欲しくて母に頼んだ

母から強く要求され、父が買ってきてくれたのは

幼い私には驚くような黒塗りの大きなオルゴールで

蓋には金色のバラが彫刻され、どう見ても子ども向きではなかった

そして唯一教えてもらったのは折り紙で折る屋形船

今でも指が覚えていて、舟先の少し上がった屋形船が折れる

父との思いではそれ以外何もなかった


昨年11月に大腿骨を骨折して動けなくなってからは

母に替わって私と弟が交代で病院に行った

初めはぎこちない娘でした

でも何故だろう・・また、明日も行かなくてはと思い

それが、また次の日も行きたい・・と思うようになっていった

父の中に自分がいた・・私は確かにこの人に似ているところがある

やっぱりどんなに拒絶しても父だった

振り返れば僅か2ヶ月間で今までの父娘関係を帳消しにして

しっかり帳尻合わせて逝った父・・ずるいなぁ・・



家庭に注がなかった愛情を音楽に注いだ父

ピアノにエレクトーン、ギターにベース

スチールギターやアコーデオン、尺八まで吹いた

コーラスにカラオケ・・歌が好きで上手かった

囲碁や将棋にも熱心で強かった

昭和20年から使っているスチールギターを弾いて

2年前からまたハワイアンバンドを組んで舞台に上がり

ラジオにも出演していた

亡くなってから人づてにそれを知り、映像を見たり声を聴いたり・・

音楽を楽しむ父は生き生きしていて、病院で見せた姿とは違うね

もう一度歌いたかったね、弾きたかったね



入院中に誕生日を迎えた父に、私は小さなキーボードをプレゼントした

「大きな音を出したらダメだよ」と音量の調節できるもので

ヘッドホンも付けておいた

けれどヘッドホンは嫌がって付けることはなかったな

父の病室は廊下の突き当たりで、エレベーターを降りて詰所の前を通るころ

父の弾くテネシーワルツがよく聞こえていた



亡くなる1日前、私と病院を受診した

年末に退院しお正月を自宅で過ごし、介護施設でショートステイしていた父は

介護車で、車椅子に乗って病院にやってきた

入院していた頃は、毎日病院に通ったけれどその日は

4日ぶりに会う父だった

車から下りてきた父は明らかに不機嫌だった

「運転がむちゃくちゃや!揺れて揺れて・・」と怒って怖い顔をし

大便が出たからトイレに行くという

何の準備も持っておらず、あわてて売店で一式購入し外来の看護師さんにも

お願いして手伝ってもらった

汗だくになって着替えさせ、父の手を洗うため指に触れると

細く長い指はとても弱々しくハンカチで包んでそっと拭いた


診察を待っている間に

「カツオの刺身と焼酎が飲みたいんや、帰りにいつものスーパーに寄ってくれよ」

と言った

「帰りも介護の車が迎えに来てくれるから、今日は買い物には行けやんわ

病院の向かいのスーパーに行くか?」と言うと

「どっちでも~」と拗ねたようにうつむいて車いすを前へ後ろへ動かした


でも受診の待ち時間が長く診察が終わるともう5時前

「お父ちゃん、もう病院の売店にしとこよ」

と言って売店に連れて行った

けれど売店には勿論カツオの刺身は無く、時間が時間だけに

陳列ケースはほぼ空だった

その中に売れ残ったような寿司の弁当が2つあり

父はそれを指さして「これ買うて帰って食べたら世話無いな」と言った

「もう戻ったら直に施設の夕ご飯やし、こんなん食べたら食べられへんで」

というと「そうかぁ・・」と残念そうに言った

欲しいと言ったみかんは無く、リンゴはしなびて美味しそうではなかった

「リンゴジュース買う?」と聞くと「おぉ、そうやな!」と声が弾んだ

他に何か父が喜びそうなものは無いかと、もう1周売店の中を車いすで回ったが

何もなく、レジの傍でかりんとうを見つけ「これにする?」と聞くと

「買うわ」と言って手を延ばした


だけどお腹が空いていたのか、売店のすぐ前が食堂で、その前を通る時

「ここで何か食べて行けへんか?」と私を誘った


昼間の混雑が嘘のように、夕方の病院の食堂には人影は無く

丸いテーブルが綺麗にならんでいた

家で夕食の準備があるからここで一緒に食べる訳にはいかないんよ、ごめんね・・

そう思いながら「こんなとこで食べたら、施設の夕食が食べられへんよ」と

早足で車いすを押して食堂を通り過ぎた

父は「うん」と静かに頷いたけれど寂しい声だった



介護の車を待つ間、買ってきたリンゴジュースを飲むと

「これえらい酸っぱいぞ!」と顔をくしゃくしゃにした

よく見るとリンゴ酢ジュースだ

「これ酢入ってるわ!」と言って父を見ると「何てよ~!」と顔をしかめていた

そして二人で顔を見合わせて笑った


病院に着いた時の猛々しい表情はもうどこにも無かった


「普通の買ってこうか?」というと「もうええわ~」とすっぱさの名残りか

まだ妙な表情だった




それから直に迎えの車が来て、父は車の後ろから出てきた電動の

ステンレスの板に車椅子ごと乗り入れて、しっかり紐で固定された

ここへ来るときもこの状態で来てすごく揺れて

「運転が荒いんや」って怒ってたっけ・・

帰りも同じだけど・・もう忘れたのかなぁ

文句言わずに乗り込んで行った


「また行くから、バイバイ」と手を振ると

父もすっと細い右手を顔の横に挙げていつまでも手を振っていた


それが父を見た最期でした



葬儀の終わりに棺に花を入れる時、父の好きな曲を流した

弟と二人で通夜の夜、長い時間をかけて店を捜し回った曲は

廊下にいつも流れてきたテネシーワルツ



お父ちゃん聞こえますか、天国で歌ってますか

カツオの刺身と焼酎を食べさせてあげなかったね

お寿司買いたかったこと知ってたよ

食堂で一緒に食べて行こうと誘ってくれたのにね・・



娘としての感情を私に持たせてくれたね

娘として涙を流す心を残してくれたね

ありがとう、お父ちゃん

サヨナラは悲しいから、もう一度歌って聞かせて欲しいよ




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テネシーワルツ

くるみさんに買って貰ったりんご酢ジュースに、顔をシワシワにしたお父さん。
カツオの刺身やお寿司食べられなかったけど、くるみさんと過ごせてお父さん幸せだったね。
シワシワ笑顔とテネシーワルツが、私にも思い受かんで暖かい気持ちになりました。

5歳の娘に黒い重厚なオルゴールを買ってきちゃう、不器用な父親だったのね。2ヶ月で帳尻あっちゃったの素敵なお父さん

ご冥福をお祈りいたします。
くるみさんもお体お大切に…。

No title

私の父も83歳。
離れて暮らしているので、たまにしか会いません。
今日のブログを読んで泣けてしょうがなかったです。
ご冥福をお祈りします。

No title

2ヶ月でそれまでの帳尻を合わせてしまわれたお父様。
さすがです。

私の父も昨年11月に亡くなったのですが、
娘は父の愛の大きさには勝てない、と実感しました・・・。

くるみみるくさんのお父様は音楽がお好きなのですね。
”テネシーワルツ”いいですね。
オルゴールのエピソードといい、亡くなる前日の病院でのご様子といい、
素敵なお父様。
これからもくるみみるくさんとご家族の幸せを見守ってくださることでしょう。
ご冥福をお祈りいたします。

みみさんへ

突然の知らせに茫然とする中、次々事が進み時間が経っていきました
もっともっと時間が流れて哀しみの形が変わって
父を笑顔で思い出してやりたいと思います

たばこを吸うために病院から「散歩」と外出届けを書いて
毎日車椅子を押して二つ隣のビルの喫煙室に通ったこと
父は1本のたばこを美味しそうに吸って「ありがとう!」って喜んでたな・・。

みみさん、コメント嬉しかったです
ありがとうございましたv-22

知秋さんへ

知秋さんのお父様も83歳なのですね
父を亡くしてからスーパーに行っても道を歩いていても
父と同じようなおじいさんばかり気になって仕方ない・・(笑)
知秋さんのお父様が元気にいて下さることを
心より願っています
コメント嬉しかったですe-267ありがとうございました!

みなみさんへ

みなみさんのお父様、昨年11月ですか・・・寂しいですね
心よりお父様のご冥福をお祈りいたします

家の父は本当に音楽の好きな人でした
今頃は何処かできっと演奏して歌っているねe-441

別れが突然すぎてなかなか受け入れられず
最期を看取れなかった悔いが残って・・
コメントに支えられます!ありがとうございましたe-420

お父さんとのやりとり…くるみさんの中では、まだ鮮明に残っているのですね。

会話を書きながら、たくさんの思いにかられていたのだろうなぁと思い、私も涙が溢れました。

私も母の最期は看取れませんでした。
母と私も会えない年月が長く、やっと交流ができた数年間でも、中々会うことができませんでした。
神経系の難病だった為、一年半の闘病生活で母が話せたのは、最初の1ヶ月ほど…息子の不登校と重なり、母と息子への思い…心が二つに別れていたような気がします。

理由があり私が働きだしたことで、最期を仕事中に迎えました。
知らせを受け駆けつけたときには、もう冷たくなっていた母に、もっと一緒にいればよかったとたくさんの後悔が私にも浮かんできました。

そしてそれを埋めたのは、同じ思いの妹との会話でした。

テネシーワルツ…歌が好きなお父さんだったのですね。
弟さんと探し回られて、見送る時に流すことができた曲。
その曲で送りたかったのね…お父さんにきっと、その子どもたちの思いが伝わっていると思います。私も母の好きな曲で送りました。

その曲をきくたびに、くるみさんの中に色んな思いが溢れるだろうけど、そんな感情もお父さんが天国で抱きしめていてくれるだろうと思っています。 きっと母もそうであろうと願っています。

音楽好きはお父さん讓りなんだね…くるみさん。

お父様のご冥福をお祈り致します。

どんぐりさんへ

温かいメッセージに泣きました・・どんぐりさんもお母様と辛い別れだったのですね
どうしても心に残る疑問も後悔も同じ思いを共有できる妹さんがいてくれて
話しが出来て本当によかったですね・・私も弟と同じ時間を、父との時間を話し合うことが出来る・・
それが心を癒してくれるんです・・あの子がいなかったら、この気持ちを上手く話すことも伝えることも出来ないから、言葉足らずでも同じ光景を目にし触れてきた感じてきたことが同じで解りあえる

父との病院での半日は鮮明で、でもきっと少しずつ忘れていく・・そう思うと
どうしても残しておきたくて・・
父が残してくれたもの・・母と義母を精一杯大切にしてもう二度と一人では逝かせない
そんなことを強く強く心に刻みました
どんぐりさん、コメント本当にありがとうございましたe-420
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プロフィール

くるみ みるく

Author:くるみ みるく
小5の終わりから始まった体調不良、そして不登校。
学校に行くというあたりまえに思っていたことが、これほど大変なことだったとは・・・。
復学支援をうけ、もう1度歩き始めた子どもを応援して行くために親はどう接していくのがよいのでしょうか。
学び続けることで見えてくるものは何でしょうか。

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