友だち



小学3年生になって初めて放課後、友だちが家に来ました


学校では鬼ごっこしたり、中庭の遊具で遊んだり

友だちと関わって遊んでいましたが

放課後の約束までには至りませんでした

私も特に「遊びに来てやってね」と

お膳立てするようなことは、しませんでした

弟がいますから、その友だちが来ることが多く

一緒に遊んでいたので、特に彼の友だちが来なくても

そのうち何とかなるわ・・くらいに思っていたのです



だけど初めて、いきなりでしたが遊びに来てくれた時には

非常に驚いたのと同時に、すごく嬉しかったので

心の奥ではこの日を密かに待っていたのでしょうね


楽しそうに色々話しながら遊ぶ息子

その時の、ある友だちと息子の会話が忘れられません


友だち「おまえ、しゃべれたんか~!何故、学校でしゃべらないん?」

息子 「学校でしゃべったら家でしゃべるぶんが減るもん!」



鋭い友だちのつっこみを、これまた鋭く切り返した息子に

のけぞりながらも拍手を送った母でした(笑)



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家で普通に話す息子にびっくりした
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想いでのノート2



授業では、大きな声ではっきりと発表が出来ました

本読みも自分の番になるとしっかりと読んでいました

そういった、答えのある問いかけや

何を言うのか決まっていることにはお話し出来ますが

ごく普通の会話・・

たとえば「ねえ、・・」って自分から話しかけること

それが難しいようでした

会話はほとんど受け身、聞かれたら答える・・

それも首を縦にふるか、横にふるかで

ほとんどを済ませていました





先生のノートから

国語で新しい漢字を習い、その字を使った言葉を
自分で考えて書くのですが、いつもここで悩んでいます。
今日は「王」だったのですが悩んでいるようなので私が
「王じょさまは?」「王こくは?」などと例を出すのですが
いつも首を左右に振られてしまいます。
そして結局は時間をかけても自分で考えて書いています。



会話は家で話すようには、なかなかなりませんでしたが

しっかり自分の意思表示はしている姿が浮かびます

人から提案されたり命令されたりするのが嫌いな

負けず嫌いな面が出ています

たとえ言葉として表現していなくても、きっと周りの子どもにも

険しい顔や、嬉しそうな笑顔など

表情で気持ちを伝えていたのだろうなと思うこの頃です



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先生の提案を拒否する頑固な息子、今もその頑固さ健在なり!
「うちもよ~」と共感の一票よろしくお願いします



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想いでのノート



入学からを振り返るために、その当時

少人数学級を担任して頂いていた先生との

ノートのやりとりがあるのを思い出し

7年ぶりに読み返してみました

先生とわたしの間でやり取りされたそのノートには、

毎日の様子がほんの1行の日や、心配なことを書き綴った日や・・・

こうして読み返すとあの頃の小さかった、でも1年生になった息子に

精一杯の想いを届けている一生懸命な自分を見つけました


これは入学して1か月たらずの5月1日のものです


(前略)
朝の様子、自分でサッサと出来ているようでも
先生が傍で見てくれているという安心感に支えられてのことなので、
どうぞしばらくこのままでお願いいたします。

ゴールデンウィーク後半もあり
休み明けどんな様子になるか心配です。
親学級担任の先生から、いろんなことが出来ているから
もっとプッシュしてもいいかというお話でしたが
まだまだ始まったばかりで
本人の気持ちも揺れている部分がたくさんあります。
(後略)


石橋を叩いて叩いて渡ろうとする、あの頃の自分が

見え隠れしてました




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一年生



1年生のスタートは学校と水面下で

何度も交渉したことが実を結び、とても順調でした

毎朝の母子登校は着かず離れずの距離感で

学校が見えるあたりから、だんだん距離をとって

1人で校門を越えていきます

廊下の向こうの先生とは、逆光で表情こそわかりませんが

「お願いします」「わかりました」と会釈の合図をかわしました

そこからは息子は1人の児童となって

友だちと先生に囲まれた

学校という世界でやっていかなければなりません



その学校という新しい環境にも

彼は馴染んでいきました


国語と算数の授業を少人数クラスで

受けていました

1年生は息子1人、2年生男子が1人

4年生男子が1人、5年生男子が1人

合計4名のクラスでした


その他の科目は親学級と呼ばれる

普通クラスでの授業


ゆっくり静かに始まったこの頃は

周りの友だちやその母親から

特別な目でみられるということを除けば

きっと必要な時間だったと思っています


息子は2学期には国語や算数の授業も

全て親学級で他の大勢の子どもと一緒に

受けましょうということになり

その頃には、朝の母子登校にも終止符がうてました


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入学式



風の強い曇り空の入学式

約80名の子どもと共に新1年生になりました

6年生に手を繋いでもらって、みんなと一緒に入学式の体育館に現れた息子は

何処から見ても他の子どもと何の違いもない

ぎこちないスーツ姿の紛れもない新一年生


私も落ち着いて保護者席で、式の進行をみていました


体育館から教室に場所を移し、狭い教室は子どもと保護者で一杯


その日程の9割が終わった頃、担任の先生が息子を指して言いました

「このクラスの〇〇くんは、みんなと一緒に参加できない授業があり

別のクラスに行きます。みなさん〇〇くんのこと、色々助けてあげてくださいね」



それがどういうことなのか、そこにいた子どもたちの何名がわかったでしょうか


息子は突然口にされた自分の名前と先生の言葉をどう感じたでしょうか


私はあまりにも唐突に始まったその呼びかけに心臓が鷲づかみにされました




必死で奥歯をきつく噛んで、精一杯の笑顔で

初めて会う方々に頭を下げました



太い眉毛に力が入って、険しい顔しているであろう息子が

その後ろ姿からでも私には十分に想像できました

息子のピクリとも動かない背中は、情けない母を叱ってくれます

こんなことで動揺しない!




もう決めたこと、リスクは承知!



空の曇りを吹き飛ばすくらいの

モチベーションが必要な入学式でした



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就学への思い



保育所生活が徐々に軌道にのり、忙しい中にも

穏やかな時間が流れていきました

ですが就学は、もう目の前に迫ってきています



地元の園に通っていないこともあり、同じ年の友だちが

近所にいませんでしたから

この地域で就学を迎えることにこだわりはなく、

少しでも息子にとって条件の整った学校を

選びたい思いがありました

それで、次男の就学を機に

親しんだ自然のいっぱいある地域から

市内の中心に転居することを決めました


条件と環境の整っている小学校であり

夫の務めにも、長男の高校にも近い場所

その近くの幼稚園に三男を入園させました


次男の就学で、家族の点状に散らばった生活図は

吸いよせあう様にまとまっていきました

毎日、送迎に何時間もの時間を割いていた私は

これからはこの地を子どもらの記憶に残る故郷として

しっかり根を下ろして毎日を過ごして行きたいと

願っていました



小学校では、はじめの転園で味わったような思いは

二度としたくないという強い思いがあります


転居先の小学校の校長先生にお会いする約束をして

初めて学校を訪問したのは梅雨に入る前でした


就学指導委員会にかかるであろう息子の進路を

その結果と共に、母親の意見を考慮して

独自の支援をして頂けるようにお願いしてきました


文字にすると肩ひじはって聞こえますが、要はこういう子どもが

来年度こちらの小学校に入学してきますので

よろしくご指導くださいというご挨拶をしてきました



それから数か月後、保健所の発達指導の先生

(一番初めに我が家を訪問して2歳の息子を

親子教室に繋いでくれた先生)が一緒に

再度学校を訪問し専門家の意見を学校側に伝えてくれました



冬を迎えるころ校長先生から電話が入り

就学指導委員会の決定が遅れて

具体的な支援を示せないままになっていることの

報告がありました



そして年末近くになり就学指導委員会の結果がでました



少人数クラスという回答でした

ただし様子見ながら通常学級に移行していくことを前提に

ということでした



すでに保育所でクラスの仲間に交じって楽しく毎日を過ごし

その生活のリズムに乗っていた息子は困ったこだわりはなくなり

どこからみてもお友だちと何の違いも感じなくなっていましたから

その結果は私にとって、非常に複雑なものでした



今ならみんなと一緒にスタートしても同じ障害物を

この子の力で超えて行ける気が十分していました。


2クラス男女合わせて80名の中でたった一人、

少人数クラスに行くということが

どういうことなのか、吉と出るのか、凶と出たらどうしよう・・



でも小学校入学で、以前のようにつまずいて、母子登校になり

教室で母親がずっと付き添うようなことだけは、避けたかった


いま、この子の前のハードルを低くして

新しい小学校という環境に慣れさせて

先生や多くの友だちの中に自分の居場所を

見つけていけるようにサポートすることを目的に

少人数学級に席をおくことがいいのかも知れない



そこに席をおくことによるリスクより

まずは安心して登校できることを息子自身が

しっかり掴むことが一番何よりも大切なこと


また学校という息子にとって未知の世界では

1人でも多くの人が息子の味方について

応援してくれることが必要です



40名を相手にする学級の先生の他に

息子を細かくサポートしてくれる

少人数クラスの先生の存在を大切にしていこう

先生との毎日のノートの交換で

息子からのサインを見落とさず共有していこう



就学指導委員会の決定を受け入れ

息子は少人数学級(支援学級)に席をおき

入学することになりました




年が明け、学校側から呼び出しを受けて

具体的な支援策を話し合いました

まだ、誰が担任になるかということは春の移動があるので

決定ではありませんでしたが

現1年生担任の先生方が2名と、情緒、知的、肢体

それぞれの支援学級担当の先生も同席されました


今の息子の様子をお話しし、先生方からの質問に答えながら

登校は、学校までは引っ越したばかりで

ほとんど道も知りませんし、私が付き添い

校門で先生とバトンタッチして

先生とクラスへ行くという形にしました



下校は友だちと一緒に、地域の方々に1年生の初めのころは

見守られ帰ってくるので

それに任せ家で待つことにしました


自信をつけたら朝も1人で通う事を目標にスタートです




一度決まったレールに乗ってしまえば

変化を嫌い、それを続けていけます

かつて療育施設の園長先生がいった

「いつでも、どこでも、誰とでも」が出来るように。



小学校入学という節目を迎え

今まで積み上げてきた一つ一つが

しっかり栄養になり作用して

彼を助けてくれますようにと願い

私にできる精一杯の準備をした時期でした


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輝きの時



12月に入りやっと新しい保育所に通えるようになり

初日、心配した拒否もなく、母子分離もスムーズでした

迎えに行くと先生と一緒に少し緊張した顔で廊下を歩いて来ました



遠くに私を見つけて、まるで映画のシーンのように

パッと明るく顔色を変えて嬉しそうに駆けてきます



両手を広げてあと数秒で私の胸に飛び込んでくるという

まさに一歩手前で、彼はピタッと動きを止めました


先生が後ろに付いているのを思い出したのです


母親を求める気持ちよりも羞恥心が勝ったのですね

彼の成長を痛いくらい感じます



半年のブランクはブランクにあらず(笑)

心の芽はしっかりと育っていたようです



息子は週に2日午前中というペースからゆっくりとその生活に馴染んでいき

毎日通うようになってからは加配の先生が付いてくれました



おかげで、彼の目の前のハードルは低くなり

もう何年も通ってお友だち関係の出来上がっている回りの子どもたちの中にも

自然と自分の居場所を見つけていきました





そして療育施設から出て初めての運動会


たくさんの大人たちが応援する中、体操やダンスを披露してくれました


小さい年少さんの駆けっこからすれば、息子たち年長さんのそれは見ごたえがあります

応援にも力が入ります



網をくぐって、平均台を渡ってゴールまで走りこむ

夫はゴール付近で、おばあちゃんもそのそばで

私は平均台の近くで息子の走りを応援しました



みんなと同じくらいで網をくぐりぬけた息子は、平均台までの走りが速かった

そしてスピードを落として慎重に平均台に飛び乗って

危なっかしい足どりで渡り切り、ゴールテープ目指して駆け抜けました





適応障害をおこして苦しんだ日々

「弟さんだけなら明日からでも来て下さい」という言葉に、噛んだくちびる

・・長かった半年



それらを跳ね返すように

息子は大勢の人たちの前で堂々と白いゴールテープを切りました

「お母さんがやってきたことは間違いじゃないよ

ほら、僕こんなにやれるんだよ!

僕の力すごいでしょ?」って

その小さな背中は言ってました

先生がその小さな背中をそっと押して一等賞の旗のもとに連れて行きました








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新しい扉の向こうへ



行き場を失った私たちでしたが、兄弟一緒の時間は

彼らの仲を濃密に繋いでくれました

おもちゃも、遊びも、時間も全てを共有し合い、ごっこ遊びにふける二人は

どちらが兄でどちらが弟ということもなく双子のように仲良く遊びました

そんな中で、焦っていたのは私だけ・・


何とか通える所を見つけなければ

このままこの生活が楽しくなってしまってはいけない

でも次男が通える場所を見つけ

尚且つ次男がもう二度と同じ失敗を繰り返さないために

加配の先生をつけてもらえるように頼まなければなりません



何処の園でも先生の数は決まっているし、特別にうちの子どもだけに

加配の人員をお願いすることは、難しいことです

でも息子が安心して母子分離して園でやっていくためには

そこを無くしては進めません



ほんの些細な不安が雪玉を転がすように大きくなっていくから

ほんの少し傍らで見ていてくれたら乗り越えられるから

支えてやって欲しい、この小さい芽を・・



「どうか、もう一度集団に戻るチャンスを下さい」と市役所の通された部屋で


並んだスーツ姿の方々に訴えました



初めて会うたくさんの人の目が

息子の一挙手一投足に注がれているのを感じます

「この子は地域で頑張れる力をつけました・・
 
 あと一歩、この子の力を引き出すためにサポートしてもらえる先生をお願いします」


息子は自分のことを話されていることを知ってか知らずか

折っていた折り紙が無くなったから、新しいものが欲しいと言い出しました

いつもなら静かに待てるのに、ただならぬ気配を敏感に感じ取っています

「もう少し待ってね」

誰かが言った嫌いな言葉が、居心地の悪さに掛け合わされて

息子の我慢の糸が切れかけました




野菜畑を、毎日のように見て歩いていたその年の、長くて暑い夏が過ぎ

ぶどう畑に姫蛍を追いかけて、秋が過ぎて、そして12月

少し家から遠かったけど

やっと週に二日、午前中だけ通える所ができました



年が明けたら少しずつ時間を増やして、春からみんなと同じように通えます

きっと、きっと今度こそ新しい扉を開けて、その向こう側へ!

そして、その向こう側の風景を一緒に見ようね



もう兄の影響でにがい思いをすることの無いように

弟は違った場所で、そのスタートをきりました




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閉ざされゆく扉



原因は何だったのかはわかりませんでしたが、転園してニか月で適応障害をおこし

退園することを、積極的な諦めと受け入れることにして、もう一度やり直しです



子どもが嫌がって進めなくなっても、だましだましそんな生活を

続けることも出来たかも知れません でもあの時の私には無理でした


保育所まで片道車で30分、朝は混んで雨でも降れば1時間以上かかります

着いても母子分離できず昼まで一緒にいて、いったん次男と帰宅

こだわりに付き合い野菜畑を歩いて歩いて、夕方また三男を迎えに往復


そこから忙しい夕方の家事、長男の塾の送迎

私にもう少し力があれば・・

文字どうり体力とそして気力があれば・・それも出来たかもしれません

母子分離できず、疲れきったのは私の方でしたから



出した答えが間違っていたとしても、きっと答えは一つじゃない

後はまた、前を向いて歩くしかありません

せっかく療育施設で伸ばした力を失いたくないと、すぐに新しい園を捜しました



でも現実はかなり厳しいものでした



自宅のすぐそば、徒歩で行ける所に、定員割れしている公立の幼稚園があり

園児全員でも20名をきっていました

田舎の幼稚園でのんびりしているし

隣の小学校の校長先生が園長先生を兼ねていましたし

この先の就学を考えるとここがいいと思いました

転園を考えた時に№2に上げていたところです

長男もこの幼稚園を出ていますから

その時お世話になった先生もいらっしゃって私の事を覚えていてくれました

電話を入れて早々、子どもを連れて伺いました




何日か通って園からの返事が来ました


「弟さんだけなら明日からでも来てください」



この返事に私は言葉を失いました

この幼稚園で息子は何をしたというのだろう

ただ、連れて行かれた幼稚園で楽しく遊んでいただけ

弟とどこか違って見えましたか

私が包み隠さず今までの経緯を話したので

そんなやっかいな子はごめんですということですね


保育士という資格をもったプロが、引き受ける以前に扉を閉ざすのですか



療育施設で力をつけてきたというのに

この子の前に扉は閉ざされようとしていることが悔しかった


障がい児はその範囲の居場所からでると、周りはこんなに厳しいものなのか

障がいを受け入れるのは自分との闘いで、障がいをもって地域で生きていくというのは

周りとの闘いなのですね

息子がハードルを飛べなかったのには、どんな原因があったとしても

結果、こけたことから立ち上がれなければ

自分の力で立ち上がれなければ、失敗は許されませんか

やり直しは認めませんか



それどころか、こける可能性のある子は遠慮してくださいと扉を閉ざすのですか



それならば、もうニ度とこんなことのないように

高いハードルなら少し下げておこう

この子の進む道の前にころがる石は取っておこう・・

そうやってまず達成感を持たせて力をつけてやらなくては・・

いずれ自分の道を自分一人で歩いて行けるように

こけても、もう一度立ち上がれるように

そんな意識が私の中にしっかりと刷り込まれました


こんな中を乗り越えられたのは他ならない療育施設で出会った仲間の支えでした

丁度一番忙しい中、左下腿なので車の運転は出来ましたが

私は靭帯を切って、ニか月松葉杖生活をしていました


状況を伝え聞いて何人も助けに来てくれます

私には内緒で、療育施設の先生に相談に行ってくれていました

みんな自分のことも大変なのに・・

私たちの中にいつもあった言葉

「苦しいけど不幸じゃない」

彼女たちの潔い姿は、私を十分に応援してくれました






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積極的な諦め



療育施設から転園し、弟が通っている保育所への入所を決めました

兄弟で一緒に通うことは、クラスは違っても小さい無認可の保育所でしたから
時々顔を合わすこともあるし、子どもにとっても知っている兄弟がいると言う事は
心強いことだと思えたからです

なにより兄弟そろって通えることで朝夕の送迎も1か所で終わります

遠足や運動会、懇談など園の行事も1度に終わることで、親も随分楽になりそうです




転園した保育所は、通っていた療育施設と繋がりがあり先生同士の連絡もありました

不安な気持ちより「さあ、始まるね!スタートだよ」っていう
どこか太陽に向かって腰に手をあてて牛乳を飲むような・・(笑)
明るい希望に満ちたスタートでした


療育施設でも、その前の親子教室でもピアノ伴奏を聞いて

体全体でそのリズムを表現するリトミックはやってきましたが

今度の保育所ではそれがかなりパワーアップされていました 

というか、それが本来の形だったのかもしれませんね



子どもたちの駆けまわる勢い、ゆっくりのリズムでの体の反り返りなど

今までには見たことないような活発な動きに

これが通常発達の子どもの力かと圧倒されました

そんな中でどうしているのかと、ふと、息子の姿を追えば・・・


皆が走れば同じように合わせて走り

ゆっくりのリズムになれば遅れもせずに寝そべって

今まで見たことないくらい身体をそらして天井を見て、

親バカ全開でうちの子が一番上手だわって思って心の中で拍手喝采してました

ほんの少し前まで「見ての参加」でじっと仁王立ちだったのに・・

よくぞここまで成長してくれたと本当にうれしかった

園庭でもみんなにまじって遊んで、迎えに行っても「あと少し」といって待たされるほどでした




ところが6月に入り雲行きが怪しくなっていきました

息子は何かに傷つき保育所に行くことをいやがりはじめました

朝になれば保育所に行くことがわかっているので眠ることを拒否しました

眠らなければ「明日」は来ないと思ったのですね



連れて行っても嫌がって暴れ、母子分離できません

療育施設の初めもそうでしたが、今回のそれは違っていると私にはわかりました

何があってそうなったのかわかりませんが

一度「嫌だ、だめだ」とかショックで傷ついたりすると

乗り越えることには非常に時間と手間がかかります

それでもここを乗り越えなければと2か月精一杯がんばりました


先生方とも何回もお話しして、私も必死でした

しかし息子はこだわりの中に自分の居場所を求め、保育所の生活に戻れませんでした

もうこれ以上この状態を続けても、いい方向が見えてくることはないと最後は心を決めました

弟を保育所に残せば、毎朝夕の送迎に辞めた息子を連れて行くことになり

嫌な思いをいつまでも引きずらせることになる

弟にとっても自分一人が置いて行かれ兄と母が帰ることは、また寂しいこと



夏を目の前にして行き場を無くした私たち


その頃こだわっていた、まるいスイカ(切ったものはいらない)が、家の中にごろごろ転がって

朝から夕方まで時間の縛りもなくなり楽しく遊ぶ息子たちを見ながら



これはただ諦めたのではない

どうしようもない状態からの積極的な諦めなんですと自分に言い訳してました



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転園という巣立ち



入園時に望んだとおり、療育施設でたくさんの力をつけていきました

息子はかなり成長しました

いきなり保育所や幼稚園では周りの刺激が強すぎて混乱してしまったでしょう

ゆっくりと丁寧な保育が彼を伸ばしてくれました

入園してまもなくぶどうの葉をみて、小さな、でもはっきりとした声で
「はっぱ」と言ってから少しずつ、でも確実に言葉が増えていきました

決して口数の多い子どもではありませんが、徐々に会話も出来るようになり
自分の要求を言葉で伝えるようになっていきました

「いや」という拒否の表現も、はっきりできるようになり
施設に入って2度目の秋を迎えるころ転園の話が先生からありました

「力がつきましたね!地域に出て大丈夫です、がんばっていきましょうね」

この言葉が聞ける日がくることを、入園した時は願っていました
でもいざ、本当にその話を聞かされると、正直とまどいました



まだまだ弱い面がいっぱいあります

こだわりもたくさん持っていたし、とても慎重なところがあり

一度失敗したことには二度と近づかない・・

はじめの一歩で失敗すると再トライが厳しいのです

失敗した画像が焼付くようで、恐れ、拒否が強くなるのです

なのでこちらも慎重になり、失敗させて覚えさせるようなことを避けてきました

高いハードルは少し下げて、ころがっている石は先回りしてどけて・・そんなふうにして

まず、出来たことを褒めて、そして半歩進んで行く・・


そんな毎日なのに地域に出てやっていけるのだろうか

また人の心の温もりを感じたり、人に優しさを送れるのだろうか



気持ちの整理がつかないままに、転園の話だけが進んでいきます



もやもやを抱えながら、その日もいつものように園から戻って夕方

息子と川の土手を散歩しました

息子は勢いよく駆けて、土手から田んぼのあぜ道に下り、山道をとおり

また、私の目の前の土手につながる道にもどって来ました


その時、その手に一本の彼岸花をつんでいました

「笑ってる」って言いながら、はいって差し出した彼岸花

息子には赤い花弁が弧を描く彼岸花は、ニコニコ笑ってるように見えたのです

「うん、笑ってるね!」

一本の彼岸花が私たちの中で共有され一つになった瞬間でした



「やって行けるかも知れない」



この子の中に私への、小さいけれど確かな温もりがあり、心を通わせることができる

たとえ転園して苦しいことが起きたとしても乗り越えて行こう!



そして翌年3月、一緒に入園した11名のうち7名がばらばらに

それぞれの地域に転園して行きました


園庭の向かいに、グミの木をみんなで植樹して。

あのグミ、赤い実をつけているでしょうか・・



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プロフィール

くるみ みるく

Author:くるみ みるく
小5の終わりから始まった体調不良、そして不登校。
学校に行くというあたりまえに思っていたことが、これほど大変なことだったとは・・・。
復学支援をうけ、もう1度歩き始めた子どもを応援して行くために親はどう接していくのがよいのでしょうか。
学び続けることで見えてくるものは何でしょうか。

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