スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
line

母親になるということ


私はいつ母親になったのか、長男を抱いた時だろうか
次男の障がいに向き合った時だろうか
三男がママと呼んで保育所で1日泣いていたことを知った時だろうか

子どもをかわいいと思う気持ちから枝分かれした子育てのしんどさや辛さ、
周りの子どもやママ友との関わり、そして社会の中の母親としての立ち場・・
いろいろなことが複雑に絡まって母親という形を作ってきたように思います
中身の母親になるという私の意識はいつ生まれたのだろうか


通常発達の子どもは、母親を求めます

傍にいて包んでくれる母親の愛情を受けとめ、子どもからも母親を求める自然なかたち

それは「母親になる・なりたい」というより母親になっていくという自然な流れのようです



発達障がい、中でも自閉症やその周辺の子どもはそこの部分が弱い 次男もそうでした


なので自然となっていくのではなく自分からこの子の母親になろう

ならなくてはという意識が必要でした そして子どもに母親という人をわかってもらうこと・・


傍にいて、まずは子どもに「この人は自分のいうことを聞いてくれる」そう言う意識を

持たせる そこから便利な人、そして必要な人、さらにはかけがえのない母親になっていく



私もそうやって、いつも息子の傍にいて言葉の遅い、それでいてこだわりの強い息子が

パニックに陥らないように通訳兼便利屋さんになっていました


散歩に出かけ同じ場面を共有し合い、同じ時間を楽しむ中で、息子は私のことを

大好きな人と思ってくれるようになり、片時も私から離れなくなりました

何処に行くのも一緒で、しゃべらないけれど息子の思っていることは不思議とわかったし、

私の周りでチラッと私のことを確認しながら安心して遊ぶ息子・・

私もそんな息子が可愛くてたまらなくなっていきました



ですが、たった一日どうしても息子から離れなければならない日があり母に預けました

凄く私を捜して捜して、カーテンの後ろを何度もめくって、

いつもなら、ばぁ~って出てくるはずの私がいないので、泣き叫び泣き疲れ、

眠って、又起きて捜して泣き叫ぶ・・


それを繰り返し一夜が明けた時、ずっとそばにいて抱っこして泣き叫ぶ自分を抱きしめて

いてくれたおばあちゃんが、彼の中ですっくり私と入れ替わったのでした


私がどうしても預けなくてはならなかった一日 それは三男の出産の日でした

その一日だけということで預かってもらったのに、

あくる日病院に来た息子は、私を見て泣きました

「こんな人知らない!」「こんな人嫌い!」という彼の心の声が聞こえました


私には見向きもせず、その時こだわっていた階段の上り下りに夢中で

すぐに病室から出て行ってしまったのです


「赤ちゃんとゆっくり出来ていいわ」って言って

早々に帰って行く姿を明るく見送りましたが、その後寂しさと虚しさで震えました


私のこれまでは何だったのだろう、あんなにいつもくっついて私を求めていたのに、

たった一晩で赤の他人、いえそれ以下の嫌いな人の仲間入りです


息子を育てるということに、疲れ、へこたれ、流したにがい涙・・




だけど、次の瞬間、バチッという音をたててスイッチが入った気がします


絶対あの子を取り戻す、あの子の心を取り戻す、あの子の母親になりたい!!



暖かい愛情で孫の全てを受け入れてくれた母には感謝で一杯

一晩のはずが退院までずっと見てくれたのですから・・


その母の愛情に応えるためにも、もう一度私を受け入れてくれるまで

泣かれても嫌がられても、モノポリーのように一回休んでスタートに戻って

そしてもう一度、始めましょう


私がこれから母親としてやっていく中に

あなたの存在はもうすでに唯一無二の存在なのですから


あなたの中から私を消しても、私の中からあなたを消すことは
絶対に不可能なんですよっていう確かなものが
私の心のずうっと深くに生まれたこと それを大切に育てようと思いました

それが母親になるということへのはじめの一歩だった気がしています


にほんブログ村 子育てブログ 不登校・ひきこもり育児へ
にほんブログ村



ランキングに参加しています
ここをクリックしていただけると嬉しいです


スポンサーサイト
line

こだわり2




散水ホースへのこだわりと並行してあったのが、着る物へのこだわり

お気に入りができたら、それでないと嫌だと着ません

なので気に入り始めたら、出来るだけ他のものを着るように目につかない

ところに隠して違う物を出しておいたり・・でも違うものには目もくれません

探し回って違うと怒って、洗濯も出来ません

しかたなく、同じものを買ってました(ない時は色違いなどを)

ですが、そうしながらもいろんな服が着れるように模索していました


クリスマスや卒園式や入園式には、お洒落してみんな出席します

その日の朝、急に出してもそれを着ることは受け入れてくれないので

いつもと違う服を着せる時には、一週間は前から見える所に出しておいて

これをもうすぐ着るんだよって何度も何度も言い聞かせ

少しずつ身体にあてて、触れさせて、馴染ませて・・

気持ちの中でその服を納得してくれるようにしてました






今でも着るものは何でもいいという訳ではありません

派手な色やプリントのものは着ません ですが昔のことを思えばそれらは

個性と呼ばれるものの範ちゅうに納まってきたようです



食べ物に関しては、小さい頃は好きになったらそればかりでした

初めての食べ物には手をつけない、嫌だと思ったものは絶対食べない

偏食を絵に描いたような食生活

今でも好きな同じ物ばかり食べたがることは抜けていませんが

小学校の給食が嫌だと聞いたことはありませんでした

息子の小学校では、食べる前に量を減らすことはOKでした

嫌いなものは量を減らしたり 飲み込んだりしていたようです

周りの友だちの様子を見て自分に折り合いをつけて

一生懸命頑張っていたのですね






他にも野菜を見ることにこだわり、とにかく生っている野菜を見たがりました

畑に入れていただいてずうっと見て歩く・・・真夏の炎天下 影一つない畑の中 

夏野菜を見て回る毎日 来る日も来る日も親子で野菜を見て回りました

夜、寝る時に読む本も「上手な野菜の育て方」とか「野菜作りの基本」という

大人向けのhow to本でした(笑)

期待した「食べる」ことにはなかなか繋がりませんでしたが

この葉がどの野菜のものか、この花からどんな野菜が生るか 

落花生の出来る様子までも知りました

あの頃の身をもって知ったこと、今の息子の頭の中のどこかにしまっているのでしょうか?

覗いてみたい気がします


まだまだ、いろんなこだわりがありました

ですがそんなこだわりも、大きくなるにしたがって気になるものが消えていき

すっかり影をひそめました 小さい頃にたくさんあった生きにくさのとげとげが

少しずつ擦り減って 丸くなってきたようです


今また、思春期という年齢で新しいとげとげを体中に貼り付けてますから

そっとしておきましょう


にほんブログ村 子育てブログ 不登校・ひきこもり育児へ
にほんブログ村


ランキングに参加しています
ここをクリックしていただけると嬉しいです!






line

こだわり




小さい頃、特に2才~5才くらいは、ものへの「こだわり」が強いことが

育てにくさのトップを占めていました

いろんな「こだわり」に付き合ってきました

「育てにくい」というのは私の感想ですから、本人にすればそれが「生きにくさ」

になっているということです

小さい頃、そう、最初に出会ったこだわりで一番大変だったのが、散水ホース!

一戸建ての家や、お店の入り口の片隅に草花や木に水をあげるためや

洗車用だったりで、ぐるぐる巻き取り式のブルーの散水ホースがあります

それを、10~20メートルほどもあるホースを巻き取り機から全部伸ばして

そして巻くのです 大人でも巻くのには力もいるし偏らないようにこつがいるのに

3才前後だった息子は、全身をバネのように動かして巻いていきます

そして、巻き終えたら、「次、行ってみよう!」とばかりにお隣の家へ・・

こうやって毎日、十数件回ります 気心の知れたご近所さんは快く巻かせてくれました

それでもまだ小さいし、場所を移して行くので目を離さず付いていなければなりません

時には、ホースしか見ていない息子は、植えてある花を踏んでしまったり

植木鉢にあたって割ってしまったり・・申し訳ないこともありました

何とかして自宅だけにしてくれないかと、散水ホースの新型や新色が出たら

買ってきたり・・でも他の家のものも巻きたがるのです

外出先でホースを見つけると巻きたがって用事が出来ません

外食でお店に行っても、入り口でホースを見つけると中には入れず

ずっとホースを巻いていたり・・そんな毎日が1年近く続きました

ホースを見ると今でも、あの頃の全身をバネのように使って一心不乱に

巻く息子の姿が浮かびます

当の本人は、今ではホースには何の未練もないようですが・・

もう、一生分、巻いたよね・・!!

にほんブログ村 子育てブログ 不登校・ひきこもり育児へ
にほんブログ村

ランキングに参加しています
ここをクリックしていただけると嬉しいです!


line

今のこと~あの角を曲がれたら



息子は今、公立中学の2年生
小学校5年生がもうすぐ終わるというある朝、起き上がれなくなりました
そこから約11か月まともに教室に、そして学校に行けない日々が始まりました

家族の力だけではお互いの力を奪い合いどうしても前に進めなかった日々
誰か力ではなく技のようなもので、こんな異次元にいる私たちを
元の世界に戻してくれないかと心から第三者を求めた日々
そんな毎日に終止符を打ってくれた復学支援
復学支援にたどり着くまでには長い時間がかかったけれど
苦しんだ日々はけっして無駄ではなかった
苦しんだ日々があったからこそ、本当に自分に必要なものを
探しあてられた



今は毎朝、「行ってきます」と声変わり途中の聞き取りにくい声を残して
朝の世界に出て行きます でも私は今もあの長く苦しかった学校が遠かった日々を
忘れてはいません

息子の出て行ったドアをそっとそっと気づかれないように開けて外に出ます
そして、曲がり角までの道を歩く息子の後ろ姿に呼びかけます 心の中で
あと少し、もうちょっと・・・がんばれ・・あぁ行けた・・
こんなあたりまえの毎日が あたりまえでなかった日々が確かにあったから
気づかせてもらった たくさんの間違いに
教えてもらった 親が変わっていく必要性を  



あの角を曲がるまで 今日も気づかれないように そっとあなたを見送ろう
あの角を曲がれたら 今日も行けたと一息ついて 家に戻って行きましょう

あの角のずっと手前で あの日あなたはうずくまり もう歩けないと泣きました
あの角のずっと手前で あの朝あなたは倒れこみ  息が出来ないと 私の背中におぶさりました

でも今は 緑のかばんを肩にかけ しっかり歩いて行くんです
前を向き 振り返らずに しっかり歩いて行くんです

私はもう二度と あなたの道の先頭に立って 道しるべをたてません
私はもう二度と あなたがふと立ち止まっても こっちがいいよと 後ろから押したりしません

はらはらどきどきしながら 少し離れた場所に立ち あなたを応援していこう

時には余計なひと言で あなたを怒らせてしまうでしょう
あなたの問題に口を出し 自己嫌悪に陥るでしょう

でもね 私も変わっていくからね

あの角を曲がるまで 今はもう少し こうして見させてくださいね
あの角を曲がれたら 私も私の道に ゆっくり戻って行きますから

にほんブログ村 子育てブログ 不登校・ひきこもり育児へ
にほんブログ村



ランキングに参加しています
ここをクリックしていただけるとうれしいです
line

ちょっとひと休みして、今のことを・・



これまで昔の様子を思い出して書いてきました

今日はちょっと、今のこと書いてみますね


子どもが通うようになった園はその当時、知的障害児通園施設というのが

正式な名前でした この名前がけっこう利用を決める人のハードルになったり

します 私もこの名前に抵抗がありました

2年間在籍して、地域に出ても大丈夫ですよと転園をすすめられてから

もう10年が過ぎました 


この春、第2の施設を開園するというお知らせを頂いていたので

是非、見学したく同期で入園、転園したお母さんと伺いました

私たちが通っていた所は、市内のはずれにあり自然はたっぷりありましたが

大変不便な場所でした でも今度の園はとても便利な市内の真ん中にあります

便利なことと引き換えに、住宅地ですから周りの家との距離が近いのと

お散歩に出たら車の往来が気がかりです

ですが第2の園の誕生は先生方の長年の夢でしたから・・

「今年はこれで待機児を出さなくて済んだわ」と園長先生はホッとした様子

待機児0(ゼロ)をめざしていつも奔走しておられたのです

この時期の子どもにとって、待機している期間はすごく大きな時間です

親子教室だけでは絶対に足りない時間、規則正しく1日1日を丁寧に

療育されることの大切さは、私が身をもって経験したこと

ここで専門の知識をもった先生方と一緒に子どもの成長をみていくことは

子どもの未来のためにも、親のためにも貴重な時間なのです


いつも優しくそして厳しく私たちを見守ってくれた園長先生

「私も歳をとったでしょ?来年は定年なのよ」と言われたけれど

変わったといえば、髪の毛がきれいなシルバーに輝いていたことかな

お話している間も、子どもたちへの気配りはかかしません

「今年は12名の子どもたちでスタートなの、5才児さんがいないから

少し寂しいかな・・」リーダーとなるお兄ちゃんお姉ちゃんの存在は

今も昔も大きいですね!




私たちが通っていた頃、ハードルになっていた園の名前も、今度の園では

児童発達支援センターという名前に変わると聞いて深くうなづきました
 

大切なことが、ちっぽけなプライドで失われることのないように

先生方の思いは、広く深く今も子どもたちを暖かく見守っています

お別れに「親子保育や勉強会の時、園児の兄弟(姉妹)の子守りボランティアに来てね」

って声をかけてもらいました

「もちろんです」1つ恩送りできるかな・・


にほんブログ村 子育てブログ 不登校・ひきこもり育児へ
にほんブログ村



ランキングに参加しています
ここをクリックしていただけると嬉しいです
line

療育施設4



発達検査で高機能自閉症というふうになっていくであろうとか、

広汎性発達障害でしょうとか言われ、その頃は今のようにネットがすぐに

何でも教えてくれる環境ではありませんでしたから

図書館や本屋で専門書を調べました


そうしていく中で、自閉症や広汎性発達障害を知っていきました

まだ2才でしたからそのどれもが目の前の子どもが受けとめなければならない

現実であることはあまりに辛く「自閉症」という焼印をやわらかい子どもの腕に

押し当てられた気がして「この子の脳のどこにどんな傷がありこの子を苦しめるのか」

というやり場のない怒りが涙になってポタポタ落ちました


だけど、一番辛いのはこの子自身、早期療育の場に繋げたことの幸運をこの先の

歩んで行く場に生かせていけるようにしなければ


この子が自閉症スペクトラムの中にいて私たちと違う世界に住んでいるなら、こちらから

歩み寄っていかなければと、園のお母さん数名とTEACCHプログラムを学び

講演会や勉強会に行ってとにかく子どものことを知ろうとしました


朝9時から昼3時まで、子どもは園でいっぱい楽しんでいました


水曜日は勉強会以外にも、親子保育という子どもと一緒に園で過ごす時間があり

そんな楽しんでいる子どもの様子を見ることが出来ました


園内で一番広い部屋でするリズム・・ピアノ伴奏に合わせて子どもらが好きに身体を

動かしたり走ったり先生の姿を真似たり・・でもじっと見ている子もたくさんいます


息子もじっとただ見ていました そんな様子に先生は特別、手を引いて誘ったりは

けしてしません 子どもたちは見て参加しているのでした「見ての参加」

こんな言葉初めて知りました 手足は動いていなくても子どもたちはじっと

ただじっと見ています 心の中にお友だちや先生が楽しそうに動き回る姿が

いつかストンと落ちた時、子どもらは動き出す・・自分の力で!



また、みんなで行く毎日のお散歩は、子どもたちの大好きな時間

途中ですれ違う列車にみんなで手を振って、しっかり歩いてたっぷり歩いて・・ 

自然は十分にありました 四季を身体で感じます

カッパ着て長靴はいて出かける雨の日のお散歩は魅力的



こんな丁寧な療育を受けられたことが、息子の力を伸ばしてくれた

そして3歳になる2ヶ月前、息子ははじめて言葉を話しました

緑色のぶどうの葉をみて「はっぱ」って言ったのです

私は一瞬、そのやわらかい声の主に見入って、洗濯物をたたむのを止めました

息子は嬉しそうにぶどうの葉を見つめていました


にほんブログ村 子育てブログ 不登校・ひきこもり育児へ
にほんブログ村



ランキングに参加しています
ここをクリッツクしていただけたら嬉しいです
line

療育施設3



毎週水曜日の午前中、母親が園のそばのプレハブの一室でいろんなことを

語りあったり、1冊の本を読んで学びあったり、専門の先生をお呼びして

お話をしていただいたりという時間がありました


母親同士、そこで他の子どもの様子を聞いたり、また、今まで誰にも話すことの

なかったような子どもの様子を言葉にすることは、大きな意味がありました

言葉にするということは、思っているのとは違います

初めは思いを誰かに伝えるというよりも、みんな、ただ、現実のしんどさを

吐き出しているようでした ただそうするだけでも言葉につまって涙があふれる母親たち

みんなそれだけ1人で抱え込んでいたのですね

特に入園したばかりの子どものお母さんは、苦しそうでした



そんなお母さんたちも、子どもが園生活を楽しめるようになっていくのと共に

お母さん同士悩みや時間を共有しあって心が少し軽くなっていく

今までは一言話すだけで声が詰まっていたお母さんも、子どもの様子を笑いながら

話せるようになっていく

私も自分で話しながら、その言葉を自分の耳で聴くことで、自分がどう感じ

ているのかや、以外に冷静だったり、すごく熱かったり、思っているのとは

また違う感覚を言葉にすることで味わいました


3歩進んで2歩さがる、立ち止まり、うずくまり、そしてやっと歩き出す

この子たちの成長は、そう簡単ではなかったけれど・・


入園して1年以上が過ぎても大きな変化がなく、このままうちの子はどうなって

いくのだろうと不安を言葉にした若いお母さん 重度の自閉症と素人目にもわかる

子どもを抱えていても、いつも明るくしていたけれど

その日は苦しい胸の内を吐き出しました

私はただ、いつもと違う彼女の様子に、驚きながら聞いていました

苦しくて、悲しくて、しんどかったんやね・・




夜中に泣いて暴れてどうしても寝ない子

隣の部屋から苦情が出て、外に連れ出し手をひいて歩くお母さん

背中に妹おんぶして、夜の静かな道を、信号の黄色い点滅を

見ながら歩いてますって話してた



みんなそれぞれに、違う苦しみ抱えていたけど、人の苦しさをみんなで共有しあえた

そんな優しさがその園にはありました 

苦しくても不幸じゃない





みんな、子どものこだわりに根気よく付き合い、急に起こる些細なことでのパニックから

少しでもいい方向を目指して、勉強して実践して、自分なりのやり方をまた模索して

必死で頑張ってました 


そんなふうに頑張れるのはこの子たちが可愛いから とてもとても可愛いから

それが全てを支えていました



にほんブログ村 子育てブログ 不登校・ひきこもり育児へ
にほんブログ村
ランキングに参加しています
ポチしていただけると嬉しいです!

line

療育施設2



療育施設に通うということを100%私自身が受け入れていたのか

それは多分違っています やはり息子に何かしらの問題、発達の遅れがあること

それが障がいと言われるものであるかも知れないことは、考えると辛いものでした


園に車で送る途中、何台もの幼稚園バスとすれ違います

幼稚園バスを待つ母親と子どもの集まりが目にとまります


何故、こんな普通の場に私はこの子と立てないんだろう

何故、こんなに遠くまで車を走らせてこんな誰も知らない園に子どもを連れて

行かなければいけないのだろう


考えても仕方がないことが浮かんで子どもがもうすぐ着く橋の手前で泣き出すのと

同じように、私も毎朝、橋を渡る頃泣いていました


でも、橋を渡って踏切を越えれば園はもうすぐです 

泣き顔を悟られないように涙は終わりで気持ちを

立て直すことに専念して・・そんな毎朝でした


少しずつ少しずつ頭で理解したことを、飲み込んで、喉からゆっくり落ちて行く

でもちょっとすると飲み込んだはずのものが、がぁーっと口元にもどってくる

なかなか飲み込みきれず、苦しんでいました

また、飲み込んだと思っていたものが、何年もして消化不良で飛び出してきたり

自分の小ささや弱さ、全然足りないものいっぱい、でもどうやっていいのか

わからず、ただ、毎日こうして療育施設に通うことそれがいい、それでいいと

思っていました


にほんブログ村 子育てブログ 不登校・ひきこもり育児へ
にほんブログ村



ランキングに参加しています
ここをクリックしていただけると嬉しいです!
line

療育施設



入園式となる「お友だち式」の前に、1度園を訪ねました
新入児オリエンテーションを受けるためです


そこで初めて園長先生とお話しました

息子が今、出来ることを先生に話したのだと思います
何をどんな風に話したのか覚えていないのですが、その時、園長先生が
おっしゃった言葉が胸に響きました

「お母さん、息子さんが出来ること・・・それは、いつでも・どこでも・誰とでも
出来る事でしょうか?」

私は一瞬はっとしました
「いつでも・どこでも・誰とでも」


そのころ息子は私でないとダメでした 誰も代わりはできません
ものにこだわるように、私へのこだわりでしょうか 父親にもおばあちゃんにも誰にも
預けることは出来ません 起きている時はいつもそばにいました

「いつでも・どこでも・誰とでも」出来ること
ここで作っていこう、そして増やしていこう
いつかバイバイって手を振って私の手元から離れて行けますように



2歳児クラスに入園した息子は、同じクラスの11名の子どもたちと徐々に園生活を

楽しめるようになっていきました

家から私が運転して毎朝息子を送ります

途中、橋を渡るのですがそこにくるとチャイルドシートに座っていながらも

足をバタバタさせて泣き出します、もうすぐ着くのがわかるのですね


車から降りる時、そして先生に会っても、ずっと泣いてました

初めのころは抱っこされて私から引きはがされるようにして連れて行ってもらってましたが

一週間もすれば母子分離の際泣いても、玄関ホールから続く長い一直線の廊下をいくうち

気持ちを切り替えて自分のクラスの部屋に着く頃には、泣き止んでいました

そうやって、少しずつ園に馴染んでいろんなこと・・・園庭での砂遊び、みんなで行く毎日の

お散歩、ホールでのリズムというピアノ伴奏で身体を動かすこと、

そして給食やお昼寝を楽しめるようになりました



にほんブログ村 子育てブログ 不登校・ひきこもり育児へ
にほんブログ村



ランキングに参加しています
ここをクリックしていただけると嬉しいです
line

親子教室



親子教室では、同い年や1つ上の年の子どもと一緒に、音楽に合わせて体を動かしたり

お散歩に近くの公園までみんなで歩いて出かけたり、本を読んでもらったり

2人(時に3人)の先生が10人くらいの子どもと母親に向き合ってくれました

息子は初めての日はうろうろして椅子に座ることも出来なかったけど

3回も通う頃には静かに椅子に座ってお話が聞けるようになっていました

親子教室に通い、この子は集団で同じような年の子どもと楽しめるし、何より

息子自身それを求めていると感じました


でも週に1度では完全に足りません

もっとこういう場が必要でした

親子教室は必要な親子をより専門的な機関に紹介する役目も担っていました

私が通い始めたのは10月の終わり、3カ月も通うと年も明け、この先

どのように過ごすか考えはじめました



親子教室に来ていた息子とよく似たタイプの子どもがすでに親子教室の

本園である療育施設に入園を決めていることを知り、自分もそうすることが

息子にも今の自分にも1番いいと思いました

親子教室の先生方は専門の知識をもった先生で、とても丁寧に子どもと関わって

くれます

その先生方が勧めている本園ならきっとこうした丁寧な保育が保障されている

障がいがあるから通うというより、子どもがしっかり楽しめる丁寧な保育が

そこにはあり、そこで過ごすことで子どもは伸びることが出来る

障がい名が何であるかより、目の前の子どもが必要としていること、そして私が

必要としていることを専門の先生方と共に学び探していける場がそこにはありました



ですが入園希望者は多く、私のところに入園許可の連絡が入ったのは

もう新入児のオリエンテーションも終わった後でした

でも、何とか「お友だち式」という入園式にはみんなと一緒に参加することが

出来たのでした



にほんブログ村 子育てブログ 不登校・ひきこもり育児へ
にほんブログ村



ランキングに参加しています
ここをクリックして頂けると嬉しいです
line

親子教室へ




一週間ほどして発達指導員の先生が訪問し、息子をみてくれました

いくつかの持参されたおもちゃで息子の反応をみて「親子教室」というものがあることを

教えてくれました


その頃の息子は、言葉はまだなく指さしもありません

視線が合いにくく、ムッツリした笑わない子でした


おもちゃで遊ぶより、食器棚からグラスを出して並べて、食器棚が空になるまで

全てを出さないと気がすまない全部出したら今度は入れてを繰り返していました




また、アンパンマンのキャラクターの指人形を、定規で線を引いたように

きれいに一直線に並べていました

並んだお人形はすべて後ろ向きで、顔は向こうを向いていました


家の中ではそうやって静かに並べることに没頭していましたが、一歩外に出ると大変でした


こうと決めたらテコでも動かない、ダメとか危ないとか、もう帰ろうとか、

とにかくこちらのいう事は聞いてくれません




無理にきかせようとすると、ものすごい勢いで泣き叫び、暴れパニックをおこします

私はいつも先回りして、子どもが言うであろう無理なことが起きないようにものを隠したり、

見せないように盾になったり、またどうしても不測の事態が起きた時には、ほんの一瞬気を

引いてその場から連れ出せるように鞄に好きな本や食べ物や、

おもちゃを入れて持ち歩いていました



長男の時とは明らかに違う子育てに不安をもちながらも、毎日の忙しさで

先を考える余裕はありません

三男がまだ赤ん坊でしたから、こんな言う事をきいてくれない息子と外出するのが

怖くなっていきました


「親子教室」が一歳半健診で発見された障がいをもつ可能性をもつ子どもを

対象としていても、もう躊躇している自分より、

こんな育てにくい子どもが楽しめるひとときを

保障してくれる場所を求める自分のほうが優位に立っていました





にほんブログ村 子育てブログ 不登校・ひきこもり育児へ
にほんブログ村


ランキングに参加しています
クリックして頂けると嬉しいです
line

子育ての不安


我が家には三人の息子がいます

このブログに書くことになる主な出来事は次男のこと

長男は次男より10歳上、三男は次男と1歳違いの年子です

父、母そして三人の息子たち。。普通の家の普通の家族

ただ次男の子育てが長男の時のそれよりもずっとずっと大変だった、ずっとずっとしんどかった

その理由がわかるのは2歳を過ぎた頃でした


母子手帳の保護者の記録に1歳6か月児健診の項目があります

今、懐かしくそのページを開いてみます


「ママ、ブーブーなど意味のある言葉をいくつか話しますか?」

この問いかけには、「いいえ」を選んでいます


「自分でコップを持って水を飲めますか?」

この問いかけには「はい」とも「いいえ」とも記入がありません

あの時わたしは先の問いに「いいえ」を選んだことで少し、いえかなり動揺していたなぁ

つづく問いかけにも「はい」を選べない状態だったんでしょうね、きっと・・・

そして私は1歳半健診に行かなかった

年子の弟が生まれ大変で行けなかったんです(たぶん・・・)

でもこの母子手帳の問いかけが私の中でいつまでも消えないものとして残りました


2歳を過ぎてもやはり変わりはありません

会う人ごとに聞きました「まだ言葉が出ないんよ」

10人中9人が言います「男の子は言葉がおそいの」「心配いらないよ、そのうち、うるさいくらいにしゃべるから」



でもたった1人こう言った人がいたんです「ほっておいてはダメ、すぐに保健所に相談しなさい」

私はすぐに保健所に電話をいれて訪問してもらうことにしました

にほんブログ村 子育てブログ 不登校・ひきこもり育児へ
にほんブログ村

続きを読んでもいいよという方ポチよろしくお願いします
line
line

FC2Ad

line
プロフィール

くるみ みるく

Author:くるみ みるく
小5の終わりから始まった体調不良、そして不登校。
学校に行くというあたりまえに思っていたことが、これほど大変なことだったとは・・・。
復学支援をうけ、もう1度歩き始めた子どもを応援して行くために親はどう接していくのがよいのでしょうか。
学び続けることで見えてくるものは何でしょうか。

line
最新記事
line
最新コメント
line
月別アーカイブ
line
カテゴリ
line
カレンダー
04 | 2012/05 | 06
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
line
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

line
fc2カウンター
line
フリーエリア
line
アルバム
line
検索フォーム
line
RSSリンクの表示
line
リンク
line
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

line
QRコード
QR
line
sub_line
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。